第十話:灯火

男はアパートの屋上で都会の喧騒と人工的な光に抱かれ紫煙を燻らせていた。
口元がやや緩んでいた。嘲笑の対象は自分自身。
ふと視線を落とし、向かいのビルをみやると同類の男が同じようにして、小さな光を灯していた。
自然、互いが互いの存在を認めた。
男は同類の男をしばらく見つめると合図を送った。
―今そっちに行く。待ってろ―
同類の男はそれを黙認すると、男に背を向け天を仰いだ。

その頃女は一人自室のベッドに座り込んでいた。
いつもなら、パートナーが覗かぬようにとバスルームで見張りでもするところではあったが、
今は何をする気も起きず、只々座り込んでいた。
"どうして""何故"という言葉が女の頭の中をメリーゴーランドのようにグルグルと回りつづける。
暫くすると階段を駆け下りる男の足音が、女の耳に入った。
女は反射的に部屋を飛び出した。
「僚、あの・・。」
「ちょっと、出かけてくる。」
視線を向けず、駆け下りる男の背中を見送るほか女には手立てがなかった。
「冴羽さんでかけたの?」
その時丁度依頼人の女がバスルームから姿を現した。
「丁度良かったわ。香さん、さっきの話の続きしましょうか。」
女は依頼人の女に誘われるまま自室に入った。
「やっぱり、好きなんでしょ冴羽さんの事。」
依頼人の女は唐突に女に問うた。女は返答に窮した。
「隠さなくてもわかるわ。香さん分りやすいし。で、冴羽さんとは結婚の約束しているの?」
「結婚の約束なんて・・・。」
「ふーん、じゃ只の恋人。それにしても恋人にしてはドライね。依頼人に手を出すなんて。
 本当にあなたの事愛しているのかしら?それとももう倦怠期?」
依頼人の女の言葉に女は困惑しきりだった。自身が一番気にし、答えの見出さなかった問いを他人の口から
聞くなどこれ以上の苦痛はない。
「そ、そんな事あなたには・・」
「悪いけど、関係大有りなのよ。私、彼と結婚するつもりだから。」
女は息を呑んだ。
男には戸籍が存在しない為事実上の婚姻はできない。
しかし、そんな事務的な現実も今の女の精神安定剤としては役不足であった。
「彼、私の気持ちに嬉しいと言ってくれたのよ。今のあなたと同じ関係になるのは時間の問題だわ。
 彼には私のような人間が必要だと思うの。資産的後ろ盾はあるし、マスコミにも強い。私自身はといえば
法律に強いしあなたが認めたとおり、奥さんとしてもやっていけるわ。」
女は依頼人の女が吐き出す言葉を映画のエンディングロールを眺めるかのように聞いていた。
「武道のたしなみもあるし・・。必要であれば銃も覚えるわ。」
「でも・・・この世界は危険よ。よりによって何故僚なの?会った事もないのに。」
「恋愛に何故なんて・・・。正直いうとね、私は世界一の男と結婚したかったの。」
「世界一?そりゃこの世界じゃ世界一かも知れないけど・・・。」
女の頭の中は"?"でいっぱいになった。依頼人の女の思考回路が推し量れない。
「幼い頃から様々な英才教育を受けてきたわ。学校では良妻賢母の教えを叩き込まれた。
 そして色々学ぶうちに全てにおいて1番じゃなきゃ気がすまなくなったの。色んな方とお付き合いもしたけど、
 どの男も役不足だったわ。そこで決めたの。私に相応しい男を捜して、結婚しようって。」
「それが・・・僚、なの?」
女は再び頭痛を覚えた。
「そんな一生の大事なことをそんな風に決めてしまっていいの?」
「一生のことだからこそよ。綿密なデータ収集をした結果よ。」
女はかの日のフロッピーを思い出し、点と線がわずかに繋がってくるのを感じた。
「でも、実際会ってみたら噂以上だわ・・・。ま、パートナーが惚れてるなんて予想外だったけど。」
依頼人の女は濡れた髪をタオルで拭いながらクスリと笑った。
「彼と私が結婚した後も仕事のパートナーを続けたいのならそれで構わないわよ。」
「ちょ、ちょっと!何勝手なこと言ってるのよ。」
「ほんと鈍感なひとね、あなたって。あなたはね彼の眼中にないって言ってるのよ。馴れ合いで寝たくらいで
 女房面されたら彼が可哀想よ。」
依頼人の女の言葉に女は絶句した。心臓が引き裂かれる思いだった。
言い返すほどの根拠も自信も女にはなかった。不安が一気に溢れ、長身の女を埋没していった。
「ま、そういうことだから。香さんもお風呂に入ってきたら?」
依頼人の女はそういうとドライヤーを取り出し、長い髪を乾かし始めた。
女は無言のまま立ち上がると、フラフラとバスルームへと向かった。

その頃男は向かいのビルの屋上で同類の男と対峙していた。
「香が・・・世話になったようだな、ミック。」
「相変わらずひねくれたやつだな。素直に香に手を出すなと殴りかかったらどうなんだ。」
男と同類の男は人工的な光の海に視線を馳せつつ、緊張感の伴う会話をかわしていた。
沈黙が長身の男たちを包む。
「お前の愛情はひねくれすぎだぞ。毎晩飲み歩いて香の関心を繋ぎとめておこうなんて、子供か?」
「うるせぇ・・・。だが自分でも驚いてる。」
「意外に独占欲が強かった自分に・・・か?だが、これ以上香を傷つけるだけなら・・・。」
同類の男は吸っていたタバコを足元に落とすと、つま先で踏み消した。
一際大きく煙を吐くと男に向かって言い放った。
「お前から香を奪う。例え、親友を失い、愛する者を失う結果になったとしてもだ。
 あの時お前に香を預けた意味がないからな。・・・本気だ。」
同類の男の言葉に男は持っていた煙草を自身の手の中で握りつぶした。

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